私の命を繋げているのは友達であり家族であり動物
死にたいと心で嘆く私を此処に繋ぎ止めているのは、「またね!」と言ってくれる友人。愛を伝えてくれる家族。こんな私をまじかで見ていてもなお、好きだと伝えてくれる飼い猫たち。
時には素性も全く知らない人。
私はこの人たちに何を返せているんだろうか。
たったの30秒ぐらいでできる腕の痣と治すために熱を持ち、チリチリと痛む太ももが自分のモノであることを自覚しながら考える。
あなたを好きでいる自分、愛されている自分がいればそれでいいと思っていた。
私は愛されていない訳ではないし、私が他人に話せる範囲で話をすると、大体の人が大切にされているじゃないかと答えた。
そうなのか…。なら、私はワガママな女なのか。
親に洗脳されている。とも怒鳴られたことがあった。
でも、確かに私はそれ以外の正しいと思える選択肢がなかった。
でもきっと、あなたにも私とは違う愛が欠けていて、あなたも間違っているんだと今の私は思うの。
あなたが裏切ってくれたお陰で私は強くも弱くもなれたよ。ありがとう。
恋は盲目とも言うけど、恋は人を良くも悪くも成長させるモノって本当だね。
ところで、何で私はまだ死んでないんだろう…。
もう死んでもいいやと思って一歩手前まで来たとき。
ふと頭に思い浮かぶのは、玄関で手を振ってくれて、プリンを買ってくれる家族で、次をくれる友達で、私の帰りを待っている飼い猫なのだ。
洗脳だとかDVだとか…。
そんなもん、今となっちゃどうでもいいはずで、忘れているつもりで、死んでいるつもりなのだ。
私は死んだ方がいい方の人間で、誰かの荷物になる人間だ。
でも、「皆で好きなことを出来るようにしようね。」そんな暖かい言葉が何滴も私の冷たい心に落ちる。それは混ざって大して温度は変わらないけれど、確実に暖かい。
自分の痣とか切り傷を見て落ち着く。
こんな奴の何が良くて僕に関わるんだろう。
僕は自分で自分がわからないよ…。
そんな僕を見つけ出して、抱きしめてくれだなんて、それはワガママとか甘えに入るのかな…。