自分の世界を変えたいから

私は、社会不適合者だ。

皆が出来る「当たり前」が出来ない。

当たり前に学校に行ったり、当たり前に仕事をして残業をしたり。

まず、当たり前に電車も乗りたくないのだ。人が集まる場所って、なんだか汚いと思ってしまう。吊り革とか、椅子とか空気とか。潔癖症とはまた違うモノだと思う。

自分に合わないと思った人と話す時、何か嫌なモノを擦り込まれてしまうのではと思い、口が動きづらくなって、上手く喋れなくなってしまうのだ。

学校で嫌というほど習う「皆仲良く」これも私にとってはどうでもよいと思えた。自分に必要である人以外と繋がりを持って私になんのメリットがあるというのだ。

学校では少しでもズレている子は見放す。

仕事に行けば、上司からの冷たい口調や目線。そもそも、今の社会って仕事ができる人間を創ろうとしていなくないか?何回も教えるのがそんなに嫌なら、マニュアル本を置いておけばいいじゃないか。問題解決への努力が一切見られない。

「人の不幸は蜜の味」という言葉は本当にその通りで、近所の本屋に行けば、「マイナス」なイメージが読み取れる題名の本がよく売れていると思う。ネット上でも、「自殺」や「殺人事件」最近は動画や画像なんかが人気だ。

「人口が少ないから一人につき三人子供を産め」命を産み、育てることの大変さをわかっていない。

「動物を食べるな。動物は友達、友達は食べちゃダメ。」最近、表に出てきている菜食主義者による意見だが、これは他者に押し付ける意見ではない。そんなことを言ったら、植物がなきゃ人は生きていけないのだから同じだ。

情報化が進むにつれて、この世の中はおかしくなっていると思う。

私はこの世の中が生きづらいと感じている。

この世の中がおかしいのか。私がおかしいのか。

私は、皆の言う「普通」や「当たり前」に合わせてカメレオンのように生きるかを迷った。だが、自分を殺して他人に合わせるなんて私には出来なかった。自分が壊れてしまったのだ。

そこで私は、他人よりも努力しなきゃ私を生かすことは出来ないのだと確信した。

この世の中がおかしいと思っている人は他にいないのかと知りたくなった。

ブログを開設し、SNSを通じて自分の考えを殴り書きしては投稿してみた。すると共感してくれる人が多数だった。

なら、何故、世の中は生きづらいんだ?この結果からいうと、ごく少数の人の意見でこの世の中がおかしいということになるのでは?そんなのはおかしい。

よく、働き方改革を起こせと言うが、あれは会社に向けるのではなく、人に向けて発信するべきだと思うのだ。そうすれば「普通」や「当たり前」が何なのか、変わると思う。

私は、自分の気持ちを文字に起こして残したり、思いついたことを文章にするのが好きだ。逆に読むことも好きだ。

それなら、私の考えに少しでも共感してくれる方や私の経験談を聞いて私だけではないと少しでも思ってくれた方を大切にして、まだまだ技術は足りないが、自分の言葉で沢山の人の不安を少しでも取り除けるようなモノを発信していけたらと、良い意見を持った人の考えを少しでも広げて、少しでも生きやすい世界にしたいと思った。

だから私はコツコツと努力をして文章でお金を稼げるようになりたいと自分の考えを明確化した。

私は、周りに合わせるカメレオンやタコじゃない。

私が働き方改革をするのならば、「これだ。」と思った。

文字、文章、言葉を武器として生きる。

私は、「存在感を放つ生き方をする」ということを決めた。