愛とは相手の哀に気付けるかの人生問題

愛の事を理解できなくなりましたw

ウソ。前からだったかもしれない。

ある人は言ったの。
「君の事が宇宙で1番好きだ」と。
「君に純白のドレスを着せよう」と。
「君の薬指に指輪をはめよう」と。
「そこから抜け出して一緒に暮らそう」と。
「君を笑顔にする為、海へ行こう」と。

でも、どれを言われても何をされても私は君に泣き顔しか魅せれなかった。

「君は1番を更新したね」
「純白のドレスは他の人、私は紫のドレスを着るの」
「輝く金属は他の人の薬指に」
「私の手を引く手は私を叩く手へ」
「笑顔に染まる海は涙の海へ」

こうなる事を私はきっと、どこかでわかっていたの。
だけど、体の温かい君が私を包む時。
それは夜に溶け込める気がして好きだった。
淡く光るライトに照らされる君の寝顔は死に顔ともとれて怖かった。
でも、生きているから綺麗だった。

言葉は生きている。
だから責任を持てと言う。

血は鮮やかだ。
絵の具だと言えば、
「綺麗な処女とも言える無垢な色だ」と散々に褒められるだろう。
血液だと言えば、
「恐ろしい、酸化する前に処理せよ」と汚い手で拭われるだろう。
生きているからこその鮮やかな力なのに。

たった一言。されど一言。

でも、その時は救われたから。

医者は薬を勧め、漬かった患者からそれを取り上げる。
人も同じ。

人の感情は人知れず。
天秤にかけるものではないと思うから。

君がまた矢を撃つ気になった時。
君が撃つ5秒前。
私は時を止め、毒を打ち、その矢をへし折るだろう。

たった一言のその舞台裏にはいくつ言葉が隠れてスタンバイしているんだろう。

愛の舞台裏にはいくつの間違い探しが潜んでいるんだろう。
ソレを私一人で読み解いて行くのではなくて、君と読み解いて行けたらなんて思うのは間違いなのか。

心の距離=物理的距離になるのならば、
あの世で君を見つけ出す事は出来ないだろう。

来世どころか現世でも君と巡り会う事はないだろう。

見るべき所はそこじゃない。
見るべき所は愛じゃない。
伝えるべきものは愛である。
愛は行動で伝えるモノじゃない。
シンプルでも遠回しでもミステリーでも良い。
言葉でどれだけ伝えられるかが人間性をも磨くんじゃないだろうか。

愛は哀探し。
愛は哀を怒や喜、楽に変換する事が出来る。